今日は何故か早起き。年取った証拠だろうか?
天気も良い、気温もGOOD、爽快な朝だったので、
早めに家を出て、自転車通勤の途中に寄り道しました。
通勤路からちょっとさけ離れたところにある、「末の松山」。
陸奥の有名な歌枕です。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
清原元輔の名歌で、小倉百人一首にもある有名な歌です。
「末の松山」ってのは、紆余曲折を省いて簡潔に説明すると、
何があっても、絶対に波が越さないところ・・・という意味なのです。
上の歌を簡単に訳すと、
決して波が越さない末の松山のように、我々の愛も決して変わらないと約束したのに・・・
ってな恨みがましい、訳になるわけですな。
ちなみに、清原元輔の娘は、随筆家の清少納言。
親子そろっての、文化人なんですな。。
と、ココまで書いて取り上げたくなってきたのが、藤原実方である。
この人の歌で有名なのは、
かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
ってのがあり、これも小倉百人一首にも出てる有名な歌だ。
これは、忍ぶ恋+片思いを歌ったとされている。
ところで、なぜ藤原実方が出てきたかというと、陸奥の歌枕と非常に関係がある。
宮中でケンカを起こしちゃった、高級官僚の藤原実方は、一条天皇に怒られちゃう。
怒られたあげく、陸奥守として左遷を命じられる。
その左遷の辞令、一条天皇の左遷命令がモノ凄い!
「陸奥の歌枕でも見て参れ!!」
現代で言うと、宮内庁の高級官僚が今上天皇に
「世界遺産の知床や屋久島を見て参れ・・・」
と、本当に知床や屋久島に飛ばされちゃう感じだ。
もちろん、片道切符。藤原実方も陸奥赴任中に落命します。
藤原実方は、どんな気分で「末の松山」を見上げたんでしょうか??
「末の末山」の極近くには、もう一つの歌枕「沖の石」があります。
こちらも機会も見て、文章にしたいとおもいまする。。